著作権をめぐる論争を知る

著作権は時代で変わる

著作権とは著作物に付属する権利のことであり、著作物とは著作憲法の定義に当てはまるものを指す。著作権は無断での著作物の利用を禁止することができる権利であるが、制限規定があったり、保護期間が設けられていたりする。著作権法は様々な問題を抱えており、著作権を焦点とする様々な裁判が起こってきた。

著作物は著作権法によって定義されているが、アイディア、事実やデータ、作風などは著作物にあてはまらないものである。従って、それらは他人の作品から借用しても良いということである。著作物には著作権が付与されているが、著作権の中には様々な権利がある。それらの権利によって著作権を持つ人は、許可のない他人の著作物への様々な利用を禁止することができる。また、著作権法は国によって違いがあり、著作権は作品が利用される国の法律が適用される。国家間での著作憲法の違いの例としては、日本では著作権に制限規定という、著作権を行使できない場合を定めているし、アメリカにはそれがなく、代わりに公正な著作物の使用は著作権違反と扱わないフェアユースの条約がある。

アイディアは著作物ではないが、表現は著作物であり著作権で守られている。その為、著作物からアイディアを借用・流用する際して作品が生み出される場合、そこにオリジナルと模倣との間で著作権の争いが生まれる。多くの裁判が行われ、その度に著作権には時代に適した判断が下されてきた。著作権には未だ問題が多く、著作権の存在意義を含めて考えていく必要がある。

著作権は何のためにある?

2013年、日本がTPP(環太平洋パートナーシップ協定)に参加することを表明し、現在でも各国との交渉が進められている。その交渉の中で、日本はアメリカから“著作権の改訂”を求められているという。TPPが参加諸国の経済を自由化させる協定である以上、著作権に対する摺り合わせが行われても不思議な話ではないのだが、問題は“その改訂が私たちの生活にどのような影響を与えるか”である。

改訂の内容は多岐にわたると考えられるが、その中でも“著作権の非親告罪化”は、私たちの生活に大きな影響を与えると懸念されている。著作権が非親告罪化するとどうなるか――簡単に説明すると、違反者を“警察の権限で取り締まれるようになる”のだ。これまで、日本の著作権は親告罪であった。親告罪というのは、権利者が親告することで初めて刑事罰になるということである。つまり、裏を返せば、権利者が親告しなければ“違反者がいても刑事罰にならなかった”ということである。日本は、このグレーゾーンを土壌にして、様々な文化を発展させてきた経緯がある。

例えば、サブカルチャーはその代表格だ。今や世界に誇る日本の文化になったサブカルだが、その発展には“二次創作”と呼ばれるものが欠かせなかった。二次創作というのは、いわゆる原作をもとにして、漫画・小説・映像・フィギュアなどを“非公式的”に作ることであるが、日本のサブカル作品は、この二次創作を通して知名度を上げていくという特異なシステムを持っている。

例えば、作品の同人誌が作られるほど、作品のコスプレをしてもらうほど、その作品が人の目に付く機会が増える。つまり作品の露出が増えるほど、その作品の需要も増えるという寸法だ。そのため、権利者は黙認という形で、事実上、二次創作を了承してきた。一方で、二次創作を行う人たちにもメリットがある。二次創作を行う人たちもまた、それを提供することで金銭や知名度などを得る。一次創作を模倣することによって技術向上につながることもある。つまり二次創作は、プロを目指すアマチュアたちを育てるインキュベーションシステムでもあるということだ。権利者と二次創作者は、適切な距離感を保ちながら、win-winの関係を築き上げてきたと言える。

TPPによる著作権の改訂は、こうしたシステムを瓦解させる恐れがある。現在、同人誌市場だけでも、ゆうに700億円を超えると言われているから、法改正した場合に出る影響は計り知れない。サブカルは日本の重要戦略の1つとして位置づけられているが、それが根底から覆りかねないのだ。

ここまでサブカルへの影響を大々的に書いてきたが、実は、私たちのもっと身近なところに影響が出てきたりする。詳細については割愛するが、私たちがこの著作権のグレーゾーンから受けてきた恩恵は意外にも大きい。法律にある程度の冗長性があるからこそ、私たちは自由に生活することが出来ていたのではないだろうか。

そうなった時に、今回の法改正は誰のためのものなのか、と疑問が浮かぶ。そもそも、著作権とは何のためにあるものなのか。社会の秩序のためにあるものなのか、それとも権利者を守るためにあるものなのか。法改正に伴う、全ての問題はそこに収束していると考えられる。

だから、私たちは今一度、著作権とはそもそも何なのかを考え直さなければいけないだろう。